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​膳所焼について

膳所焼は

遠州七窯の一つ

平和の時代となった江戸初期、膳所焼は将軍家御用達の窯として、小堀遠州の美意識をもとに制作されるようになりました。

 初期の作品は大名の贈答用として作られており、精選した原料を用い、熟練の陶工の手による茶入・水指が多く見られます。中興名物にも、大江・白雲なる銘の茶入が取り上げられております。膳所城とともに育まれ、栄えた膳所焼も藩の都合でやがて衰退することとなりました。

 この名窯の廃絶を惜しみ、大正8年岩崎健三が山元春挙画伯などの協力を得て再興を計りました。意志を継いだ岩崎新定も膳所焼の普及・発展に努め、今日の膳所焼の基礎を築きました。

​ 現在は膳所釉を中心とした伝統的な技法を基調としつつ、色絵や染付など多様な陶磁器を製作しております。また、伝統的様式の茶道具に加え、シャンパンクーラー、お皿、スープカップ、香水入れ、等、現代の日常生活で使用できる膳所焼も製作して参ります。茶道具については、遠州七窯の一つとして恥ずかしからぬ茶陶の研鑽に励んでおります。

「膳所」という地名は、657年に天智天皇により大津京が設営された時に、天皇の「お膳を準備する所」であったことに由来します。膳所焼の起源は定かではありませんが、人が住むためには、近江の地が育んだ土地の器が必要だったので、かなり以前から存在したのではないかと推察されます。大津京から時代は下って、関ヶ原の合戦を経て徳川の江戸時代になり、平和が訪れた後に「綺麗さび」という美意識を基に小堀遠州が指導したのが近代膳所焼の始まりです。

 遠州自身の膳所焼に対する「指導」については、1620年代の寛永年間の菅沼膳所守宛て書状が現存しており、歴史的な証左となっています。即ち、膳所焼は近代史の中で400年以上の歴史を経て現在に至っております。小堀遠州の指導に基づき、将軍家御用達となった膳所焼は武家の美意識を反映し、茶陶として珍重され江戸後期まで存在しました。その後、膳所焼は、明治維新による衰退の危機を乗り越え、1919年に地元の名士である岩崎家により復興され、現在は「有限会社膳所焼窯元陽炎園」により伝承されております。

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​天皇の「御膳所」